月が綺麗な夜に

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【武道の旅】 現代における ”強さ” を古武道の視点から考えてみた

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おはようございます、天地 海人(アマチ カイト)です。

早朝から物々しい写真でごめんなさい。

 

僕は昨年の6月から古武道を習っている。

動機は単純で男の子なら誰しも憧れる ”強さ” に惹かれ35歳で始めた。

 

強さといっても意味合いは色々ある。

古武道に限らず、力の強さ、勝つ強さ、負けない強さ、耐える強さなど対象が相手か?自分か?でも変わってくる。

 

これだけあると「 ”強さ” とはなんなのか?」と考えさせられる。

 

僕は飽き性だがハマるとずっとやる。飽きるまでやる。飽きたらやめる。

おもちゃで遊ぶ子どもの感覚と同じだ。

新しく買え与えられたときは夢中になって遊ぶが、何日かたつと見向きもしないおもちゃと、どこへ行くにも持ち歩くおもちゃに別れる。

 

古武道は初めてまだ10ヶ月だが、飽きることなく続けている。辞めようと思わないしもっと強くなりたいと稽古に励んでいる。

 

「なぜか?」

 

今回は僕が古武道を続けている要因を解明しながら ”強さ” について読者の皆様と一緒に考えていこうと思う。

 

 

・強さとは?

男性だけでなく女性も強さに惹かれる時代である。

 

武道やスポーツという特殊な環境以外においても、辛いことに負けない強さ、仕事を続ける粘り強さ、参加している企画チームが他社に負けない強い商品を作る、自立する強さなど生活環境における色々な強さを求める人が多い。僕もそのうちの一人だ。

 

”強さ” を辞典で調べると

対立関係にある相手や、困難や障害に打ち勝つ能力がある様子

新明解国語辞典

と書いてある。

 

ということは強さを知るには比較対象がいるのである。

例題を挙げてそれぞれ見てみよう。

 

 

・比較対象

よくあるケースを5つ挙げたので見て頂きたい。

 

①学校で一番喧嘩が強くなりたい

対象→自分以外にある。

 

②チャンピオンを目指すボクサー

対象→自分以外だが練習の際は対象が過去の自分だ。

 

③野球やサッカーで世界一強いチーム

対象→自分たち以外だが格闘系の①②と比べて負けないという強さが求められる。

 

④頑丈な車のボディー

対象→不特定であり対物(自分以外)とその車の出力(自分)に耐えれる強さも含まれる。

 

⑤やり抜く強さ

対象→続けること(自分のみ)。

 

他にも検証できることはあるが、混乱を招くので5つに絞り挙げてみた。

古武道はこの5つ全ての対象が含まれていることに気付く。

 

僕が古武道を始めたのは①と④によるところが大きい。

”自分の身を守る為に相手を倒す技術を身に付ける” ことがメインの為である。

 

技術を身につける為、先生に稽古をつけてもらい練習するのは②だ。

先生はよく「負けなければいい」とおっしゃる。

護身なので相手の攻撃をかわし逃げればいいということだ。

 

しかし、やむを得ない場合(複数の敵に囲まれる。自分以外の守らなければならない人がいる)は相手を倒すしかない。

その為ここの流派は、相手を戦闘不能にする技が多い。 技を使う時は自分の生死に関わる危機的な状況という前提だからだ。

 

しかし技を使うには体力がいる。パワー・スピード・スタミナ・柔軟性をつけなければならない。上位の技ほど体力がいる。

かと言っても、テレビに出てくる筋骨隆々の格闘家みたいになれというわけではない。

その技を修得し、実戦で使える体力があればいいのだ。これは④と言える。

 

ここに至るまでは時間を要するので、最後に⑤の強さが必要になってくる。

何事も継続しなければ上のレベルには行けないのだ。

 

僕が古武道を続ける ”強さの比較対象” はこのように移り変わっていき、今に至る。

ということは

”強さとは様々な比較対象と検証していく過程を踏まなくてはならない”

と結論づけられる。

 

しかしここで問題が一つある。

比較対象が自分の場合は分かりにくいという点だ。

古武道はテストのような点数で計る術がないがない。昇段試験や上位の技ができるようになったなどで分かることもあるが、日々の稽古は基本の反復と自分の課題の技の修得なので、なかなか強くなったという実感がない。

 

その為、古武道に限らず実践的な流派には組手という稽古である。組手とは同門の生徒同士で試合をする。

僕の所属している流派は当身ありのフルコンタクトなので、グローブは着けるが、顔と急所以外は攻撃する。

この組手の稽古により相手より強いか?という①が測れるのだ。

古武道においての強さとは技の習熟度と比例する。

 

 

・古武道以外においての強さ

他のことにも当てはまると思う。

例えば仕事においては、他者より稼ぎたい出世したいと思うのが①だ。

その為に資格を取ったりビジネススキルを磨く勉強をするのが②だ。

 

仕事は百戦錬磨というわけにはいかない。その為、勝たずとも負けない。被害を最小限に抑えるの③が必要になる。

 

頭を使う仕事でも体力はいる。仕事における体力とは、コンディショニング(体調管理)と言えよう。これは④に当てはまる。

 

最後に⑤。仕事はやって次の日にすぐ結果が分かるとは限らない。特に大きな案件に関しては、試行錯誤を繰り返し数年かけて成果が出ることもあるので、忍耐力が必要である。

 

僕は仕事を辞めた。周りには「仕事をしない」と、言い切っている。

そんな僕が古武道は続けている理由を考えてみると以下のようになる。

 

僕が以前所属していた組織は結果主義で①だけが求められた。

手段を選ばず、どんな手を使っても結果を出すことが仕事だった。会社組織のため合法的という縛りはあったが、グレーゾーンの仕事もあった。

このやり方を否定するつもりはない。その理念の下、お金を稼ぎ他者よりいい生活を送れるようになった人もいる。しかし、僕には合わなかった。なぜか?

 

”過程がない” からだ。

 

結果だけでいいならジャンケンと同じで、深く知り学ぶというものがない。勝った負けただけ。すなわち面白くなかった。

仕事(お金を稼ぐ手段)として簡単に最速で結果を出せることを選ぶのは理にかなっている、しかし面白くなく続かないのだ。沢山お金を稼ぐことだけが目的の人は続くだろうが。

 

 

・結果と過程

人が求める強さは楽しみをどこに置くかで別れる。結果に置く人と過程に置く人。

僕は後者であり、過程を楽しむタイプだ。

だから近代格闘技(極真空手・ボクシング・総合格闘技など)より古武道を選んだ。

 

その性格がゆえに旅をしているというのもある。

「旅は目的地になく道中にある」

もしあなたが結果主義の人ならば旅ではなく旅行に行くことをお勧めする。

 

 

・最後に

人間は個や種の繁栄という結果をコントロールする為に様々な強さを求めてきた。その産物が経済と科学であり資本主義と核兵器などの強いモノだ。※これらが悪いと言っているわけではない。

 

「人間は自ら生み出した強いモノをコントロールできているだろうか?」

僕はできていないと思う。

逆に人間自身が生み出した強いモノにコントロールされていて、強さの暴走をコントロールできていない。

 

僕の先生は生徒が修得していない技を使うとお叱りになられる。

「自分がコントロールできない技は相手に怪我を追わせるだけでなく、自分の命を落とすことになる」と、言うのだ。

この言葉に僕の求めている ”強さ” の答えがある。

 

「真の強さとは武器を持つことではなく、技術を修得する過程にある」

これが僕の結論である。

 

生きて行く上で ”強さ” を求められる時代。

「あなたは過程を楽しんでいるだろうか?」

少し立ち止まって考えてみるのも悪くない。

 

 

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