月が綺麗な夜に

このブログは自分だけの世界地図を描き上げるための旅の記録

【一期一会の旅】 オードリーとパリが好きな女の子

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こんばんは、天地 海人(アマチ カイト)です。

 

今日は、4年の付き合いになる女の子と、久しぶりに会い、ご飯を食べてきました。

オードリーとパリが好きな女の子、昔から変わらない。

しかし、色々な話をして「すごく変わったな」と、感じた。

雰囲気と見た目がグッと大人っぽくなり、綺麗になったこともあるが、何かが昔と違う。

 

「何が変わったのだろう?」

 

それは”笑顔”だった。

彼女に失礼かもしれないが、昔はどこかつまらなそうで、笑っても引きつっている感じがした。

今はとても楽しそうで、終始ニコニコ笑っている。

彼女は「昔はお金を稼ぐため、いろんなことを犠牲にして我慢していたが、今は自分の好きなこと、大切な人のために時間を使っている」と、言った。

そんな彼女の話を聞いていると、僕も幸せな気持ちになった。

 

 

楽しい時間はあっという間で、彼女と別れた電車の中で、こんなことを考えた。

 

生きていると様々な人と出会い別れるが、みんな容姿も性格も違うし、話す言語が違う人もいる。

「自分と同じ人間なんていない」と、当たり前のことに気付かされる。

出会う人との人間関係においても、密になる関係の人もいるし、ただすれ違うだけの人もいる。

 

今まで自分の出会った人達を思い浮かべてみる。

 

そんな何千何万と出会う人の中で、忘れられない人がいたりする。

初恋の人、幼少期の親友、社会の厳しさを教えてくれた上司など、関係は様々だが、忘れられない人には、三つの要素の内、どれか一つが当てはまることに気付いた。

 

一つ目は”価値観”が同じ人。

食べ物の好き嫌いや趣味、ファッションなどで共通点があり、恋愛対象や友達になることが多い。

しかし、価値観は生きていく中で変わっていく。

子どもの頃に夢中になったおもちゃで、大人になってからも遊ぶ人は少ないだろう。

僕は子どもの頃、ピーマンが大嫌いだったが、いまでは普通に食べれるし、ピーマンの肉詰めは大好物だ。

価値観のすれ違いは、恋人と別れる原因のトップ3に入る。

 

二つ目は”世界観”が同じ人。

生きていく上で大切にしているもの、信念や思想、死生観など、人間の本質的な部分が一致していて、メンターや人生のパートナーになるだろう。

それは憧れのスポーツ選手だったり、歴史上の人物だったりもする。

僕は、小学生の頃からイチロー選手の大ファンだが、大人になったいまも大ファンで、彼の自分の課題に対する向き合い方を、お手本にしてる。

世界観は、持って生まれた性質に加え、生い立ちや育った環境、教育、経験などが影響し、ちょっとやそっとのことでは変わらない、人間の本質的な部分だ。

 

僕が二十歳の時に、親友が心臓発作で死んだ。

いつも陽気で、誰にでも優しく、みんなの人気者だった。

中学だけ一緒だったが、家族ぐるみでお付き合いするほど、仲が良かった。

彼が倒れたのは、夏の暑い日だった。

大学のサークルで、フットサルをしていたプレー中に気分が悪くなり、ロッカールームで一人休んでいた。

ゲームが終わり、仲間がロッカールームに戻った時には、呼吸をしておらず、救急車で病院に運ばれ一命はとりとめたが、脳に障害が残り、自分の意思で動くことも喋ることもできなくなった。

ご両親の介護の元、1年ほど実家で療養していたが、死んでしまった。

亡くなる前日、お見舞いに行った時は顔色も良く、彼の母親が「今度、大学病院に最新の電気治療を受けさせにいく」と、言っていた。

希望を持てる話を聞かされていただけに、彼の死を聞かされた時、頭が真っ白になった。

僕は楽観的な性格だが、その日以来 ”死” を常に意識するようになった。

「自分もいつか必ず死ぬ」と。

 

そして三つ目は”嫌い”という感情を抱かせる人。

考え方も行動も自分と全く違うから、ぶつかることが多く、お互いわかりあい協力することはない。

特に思春期は親、部活の先輩、生活指導の先生がそのような存在になりうる。

しかし、年月が経つと、その時の言葉がハッと降ってきて理解することがある。

あんなに嫌いだった人に対して、感謝の気持ちと、自分への恥ずかしさが湧いてくる。

その逆も然りで、以前は意気投合し、よく酒を飲み語り合ったが、だんだんと意見が食い違い、喧嘩別れや自然消滅した人もいる。

価値観や世界観が変われば、人の好き嫌いも変わる。

「昨日の敵は今日の友」という諺があるように、時と場合によって人間関係は変わる。

 

足の速かった初恋のあの子は、今や三児の母親だ。

僕と同じ人見知りの親友は、お互いどこで何をしているのかさえ知らない。

長年仕事で苦楽を共にした上司とは、袂を分かつ事になった。

今、周りにいる人たちも3年後、5年後、ましてや10年後はどうなっているかわからない。

そんなことを考えれば考えるほど、人と接するのがめんどくさく、億劫になってくる。

しかし「人それぞれなのだと」

 

人生には無数の選択肢があり、いろんな判断や重要な決断に迫られる。

その連鎖でいろんな人間性が形成されていく。

なので二つとして同じ人間はいない。

だから「人それぞれなのだと」

 

たまたま交差点で出会って、行き先が一緒の方向で、並んで道を歩んでいただけであって、そのうち分岐があり別れることになる。

右へ行くか左へ行くか「人それぞれなのだと」

 

彼女はお婆ちゃんになっても変わらず、オードリーとパリが好きなのだろうと。