月が綺麗な夜に

自分だけの世界地図を作る旅のブログ

【言葉の旅】 アニメ『君の名は。』は、わかりにくい

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玉置神社からの夕陽

 

綺麗な夕陽ですね。天地 海人(アマチ カイト)です。

今年の初詣に行った、玉置山にある玉置神社から撮影した、熊野の山に沈む夕陽です。

玉置神社は「神様に呼ばれないと辿り着けない」と言われています。

玉置神社|聖地・熊野三山の奥の宮

 

「昔の人は黄昏時にこの夕陽を見て、何を思ったのだろう?」と、思いを馳せました。『君の名は。』の作中でも登場した「黄昏時」

 

誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つ我そ

 

万葉集に収められている歌の「誰そ彼」が「黄昏時」の語源です。

 

美しい日本語が話せる 書ける 万葉ことば

美しい日本語が話せる 書ける 万葉ことば

 

 

玉置神社から見た夕陽は、数分間見入ってしまうほど本当に綺麗でした。

冒頭で、この時の感動を伝えようと写真と言葉で表現しましたが、単なる写真の説明になってしまいました。

美しい夕陽の景色と、感動した自分の心象を一緒に伝えようとすることは、意外に難しいものです。

「なぜ、こんな簡単なことを伝えられないのだろう?」と、考えました。

僕の語彙力が乏しいのも原因ですが、もっと根本的な原因に気が付きました。

それは、共感してもらおうと”わかりやすく”伝えていたためです。

 

「わかりやすく伝えようとして何が悪いの?」と、疑問に思われるかもしれません。

現代のコミュニケーションは「いかに相手にわかりやすく伝えるか」が、重要視されています。

日常の会話、会議でのプレゼン、このブログの記事も、僕の体験したことや考えを、読者の方にわかりやすく伝わるよう心がけています。

しかし、万葉集をはじめ古代の歌はわかりにくい。

「古典だからそりゃそうだろう」と、思われるかもしれませんが、言葉の意味を理解してもどうしてもわからない部分が出てくる。

その部分を「もしかしたらこういうことなのかな?」と、考察する。

歌は、その時の情景を言葉で表現し伝えているので、そこには、必ず人間が存在して何かを感じている。

その人間に自分を投影させイメージするが、わかったような気がするで終わる。

 

君の名は。』も、わかりにくい。

わからないじゃなく、わかりにくいのだ。

この映画を簡素に説明すると、都会と田舎に住む高校生の男女の体が入れ替わる、恋愛ストーリーだ。

わかりやすいことは機械的で無機質に感じる。

しかし、三葉と瀧がお互いのことが「わかっているのにわからない」というパラドックス要素が、見ている者を作品に引き込んでいく。

作品の中で点と点が繋がり線になり、線が絡まり最後に紐解かれる。

わかりにくい表現だが僕の率直な感想だ。

 

 

しかし、考えてみると、現実世界のコミュニケーションも、いくらわかりやすい表現で伝えても、完璧に分かり合えることなどそうそうない。

誤解や勘違いは人間関係においてつきものだ。

惹かれた人のことはわかりたいと思い悩み、伝わらないことに苛立ち、相手を責めてしまうこともある。

しかし所詮、他人のことなどわかりっこないのだ。

君の名は。』がヒットした背景には、古代から続く人間関係の「わかりにくさ」が共感されたのではないかと思う。

もちろん、ストーリーの構成、描写、音楽など、どれも素晴らしいのは言うまでもない。

 

古代も現代も「わからないことをわかろうとするわかりにくさ」を楽しむ人間がいる。

そんなことに思いを馳せ、夜更かししている僕がいる。

始発電車の車輪の音が響いてきた。

 

もう、かはたれ時ですね。